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大棟 耕介●おおむね こうすけ
有限会社プレジャー企画代表取締役会長
NPO法人日本ホスピタル・クラウン協会理事長
1969年生まれ。筑波大学卒業後、鉄道会社を経てクラウン(道化師)のプロになりプレジャー企画を起業。抜群の運動神経で、その場のものを額に乗せるバランス芸などのパフォーマンスが人気。現在プレジャー企画は日本最大級のクラウンチームと似顔絵師という珍しい組み合わせの社員で構成されている。病院を訪問するホスピタル・クラウンの活動も行っており、著書『ホスピタルクラウン』は2008年にテレビドラマ化(フジTV)された。2008年WCA(world Clown Association)コンベンション グループ部門金メダル受賞。
有限会社プレジャー企画
NPO法人 日本ホスピタル・クラウン協会
interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。
苦手なことに取り組むことで性格を変えたい!
森:大棟さんはクラウンとして20年以上活躍されていますが、日本ではそもそもクラウンとは何か、知っている人は少ないですよね。まず、クラウンとピエロの違いを教えてください。
大棟:ピエロというのは演劇の中の役柄名で、それが先に日本に入ってきて広がったため勘違いされています。道化師の英訳がクラウンで、サーカスの中の道化役のこと。日本人がピエロと呼んでいるのはクラウンの中の1つの役名です。マジックとかウォークマンというのは商品名で、サインペンや携帯音楽プレーヤー全般を指すものではありませんよね。
それと同じです。
森:なるほど、そういうことなんですね。それにしても、なぜ日本であまりなじみのないクラウンを目指したのですか?大棟さんは大学卒業後に大手鉄道会社入社という、いわばエリートコースを歩んできたと聞きました。
大棟:確かに順当に行けば、今年の人事で部長になっていたかもしれません(笑)。ただ、僕は宴会芸もできないしカラオケも苦手で、堅苦しい人間なんです。だから大きな会社で出世するにはユーモアが必要だと思って、性格を明るくしようと考えました。
当時は鉄道の現場にいて「17時37分終業」といった具合に分単位で仕事がきっちり終わるから、アフター5を使って何か自己啓発をしようと思ったわけです。僕は実業団までスポーツをやっていたからジャグリングとかマジックはやればできる気がしたけど、クラウンだけは自分に1番向いていないと確信できました。
だから、クラウンに取り組むことで性格を変えられるのでは、と思って練習したんです。その時にたまたま「会社を辞めたい」って気持ちが出てしまって、「辞めちゃえ」と(笑)。それで、「とりあえず、芸人で日銭を稼ごう」くらいの安易な気持ちで、食い扶持稼ぎのためにクラウンを始めた状況です。胸を張って言えることではないですね。
僕はたまたま大きな会社にいて最終的なクライアントのイメージができたから「何が買いたいのかな」「どうしたら買ってくれるのかな」という見きわめは早くできたと思います。だからアーティスト性とか自分の内面から出るものよりも先に、売れる人のまねをして、「これをすればこれをもらえる」という練習から入りました。そして退職して1か月後にはマンションを借りて、電話一体型のファクスを置きました。
今思えば本当にバカですが、「どうして電話が鳴らないのかな」「ファクスが来ないかな」と、ただ座って電話機を見ていました。会社を作ったことを誰にも話してなかったし、売り込みもしていないのに、です。
「クラウンで食べていく」ことを決意
森:いくら会社を作っても、そこにクラウンという商品があることを誰も知らなければ仕事は来ませんね(笑)。では、初めての仕事はどうやって取ったんですか。
大棟:最初は知り合いの幼稚園や子供会に呼ばれて、そこに来ていたお母さんやイベント会社の人から「誕生日会にも来てほしい」「イベントで面白いことをやって」と頼まれて少しずつ仕事が広がりました。
唯一、売り込みに行ったのは結婚式場です。新郎新婦が主役の結婚式はサーカスの構成に近いから、お出迎え、お見送り、中座時のパフォーマンスなど絶対に市場があると思ったからです。最初は半信半疑で使ってくれた所も1回やってみると楽しいし便利だと感じてくれて、レギュラーで仕事が来るようになりました。
日本で結婚式に芸人をうまく融合させたのは僕らが初めてだという自負があります。当時名古屋ではイベントがあると、東京や大阪から芸人を連れてきていました。それだと交通費などのコストがかさみますよね。それに、出張してきたクラウンたちを見た時に、「この芸でこの金額がもらえるなら、僕はこれくらい稼げる」とイメージできました。だから会社を辞めたとき、これなら自分1人が食うことはできるなと思ったんですよね。
「クラウンで食べていく」には、才能はいります。努力もいります。あとはいわゆる市場を読む力という意味で嗅覚も必要です。例えば僕が今、道ばたを歩いている学生さんを捕まえて1日トレーニングすれば、2万5000円から3万円のギャラをもらえるクラウンという商品にすることはできます。でもそれだと中身がスカスカでフィロソフィー(哲学)もないし、本人も何をやっているか分からないでしょう。
僕も最初は「こういう格好をしてこういう技術を持てばこのくらいお金をもらえる」という形から入って、お金をもらえる程度のパフォーマンスは簡単にできるようになりました。ただ、お金をもらえることと、クラウンとしてのアーティスト性の間には差があって、その差を埋めるのに時間がかかりました。
森:なるほど。そうしてアーティスト性や人間性も追求する中で、ホスピタル・クラウンという活動も始まったのでしょうか。
病院や被災地を尋ねるボランティアも積極的に行っていますよね。
大棟:アメリカで勉強した時に「被災地や病院、障害者施設など、少し弱っている方たちのためにどういうパフォーマンスをするか」という授業があって、非常にいい活動だと感じました。
ただ欧米はクラウン文化の上にその活動がありますが、日本にはクラウンという文化がないので、まず底辺を作ろうと思って活動を始めました。生意気ですが、ホスピタル・クラウンの活動は僕にしかきちんとできないと思います。知識、スキル、経験、時間とお金、組織、信用…すべてが揃っていないとできないし、この活動にはいざというとき責任を取る体制も必要です。世界的にも会社組織で活動しているのはわが社だけでしょう。
ホスピタル・クラウンの活動をそんなに大きくアピールするつもりはなかったのですが、マスコミの取り上げ方も大きかったので、僕自身がラブ&ピースの塊のような美しい描かれ方をして違和感を感じた時期もありました。でも期待に応えようと前向きにとらえていて、それがプラスのスパイラルになってきています。
被災地でのボランティア活動も同じで、熊本地震が起きて1週間後には寄付金が会社に届き始めたんです。うちの会社では何も発信していないのに「熊本に行く交通費に使ってください」「大きな団体より目に見えるところで実際に使って欲しい」といった声が寄せられて突き動かされました。そういう期待が自分を動かしているような気がして、ありがたいことだと思っています。
森:会社経営でも、欧米だと最終的には「自己満足、自己実現が最高」と言いますが、日本は違いますね。
私は「誰かの喜ぶ顔が見たい」という所に行きつかないと本当の意味での喜びはないと思っていますが、クラウンの世界はそれがもっと顕著なのでしょう。
大棟さんは大企業でコミュニケーションの研修にも携わっているということなので、次回はクラウンならではのコミュニケーション術について教えてください。