guest
上神田 梅雄●かみかんだ うめお
新宿調理師専門学校校長。1953年岩手県で10人兄弟の7番目に生まれる。高校卒業後、製綿業・雑穀業を経て1973年に上京し、新宿調理師専門学校・夜間部に入学。卒業後は故・西宮利晃氏に弟子入りし、12年間・11店補で修業を積む。1987年、銀座「会席料理・阿伽免(おかめ)」を皮切りに、その後24年間は5企業で総料理長を務める。2011年より現職。著書に『調理師という人生を目指す君に』がある。
interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。
教わったことは忘れるけれど、盗んだものは忘れない
森:上神田さんは2011年に校長に就任されたと聞きました。私も2011年に社長になったので、何かご縁を感じますね。上神田さんは料理人として超一流の腕をお持ちですが、まずは、調理師を志したきっかけから教えてください。
上神田:志なんてかっこいいものじゃありません(笑)。10人兄弟の7番目で、皆「自分の食い扶持は自分で探して生きて行け」と言われて、手に職をつけようと上京して調理師専門学校に入りました。
まさに井沢八郎さんの『あゝ上野駅』という歌の世界で、今でもその歌詞を見ると40数年前を思い出します。辛くても帰れない、誰も知らない都会でなんとか自分の生きていく道を探さなければいけないってね。
森:『天皇の料理番』という本で読みましたが、料理の世界は一般の会社とは全く違って、基本的には「見て覚える」世界で、修行期間は上の人から足蹴にされて多くの人が辞めていくイメージを持ちました。実際、そんなに厳しい世界なのでしょうか?
上神田:なんのツテもない中で、最初は夜間学校に通いながら昼は都内のデパートの食堂でアルバイトしましたが、言われたことができないと包丁の峰で頭を叩かれることもありました。気合いを入れていかないとだめだと、カルチャーショックを受けました。
森:先生の本を読んだりラジオ番組での発言を聞いていると、普段私が思っていることをズバズバと言ってくれて、感銘を受けます。「ならぬものはならぬ」という武士道精神は私も大好きだし「地味な仕事を疎かにしない」「徹底的に目の前の小さなことに必死に取り組む姿勢を大切にする」「技術者はトップが一緒に汗をかいてやっていかなければいけない」など、どれもその通りだ! と、ひざを打ちました。そうした信念は、厳しい修行の中で培われたわけですね。
上神田:スポーツでも武道でも「心・技・体」を鍛えると表現しますが、一番は心です。
心を鍛えて、初めてそこに技を入れていくと正しいものが身につくわけで、その順番を誤っちゃダメだと思うんです。それは自分自身、修行の中で実感して確信的に思っていることです。学校卒業後に就職ではなく、師匠に弟子入りしたから身についたことですね。
森:師匠についての修行というのは、レストランなどに就職するよりさらに厳しい世界ですよね。だからこそ見えたものもあるでしょうか。
上神田:就職はいわば条件闘争で、「給料、休みなどの福利厚生、将来性」などの条件で選びますね。私も就職を目指したら、少しでも給料がよくて、少しでも見栄えがいい有名な会社に行こうと思ったでしょう。でも、弟子入りは、こっちには条件なんて何も許されません。給料が多い少ないどころか、もらえるかどうかすら分かりません。
弟子入りしてからは、とにかく師匠に認めてもらう、信用してもらうことだけを目指して頑張ったので、その点では得しましたね。カバン持ちから始まって常に一緒にいて、師匠の体温を感じる距離にいないと、本当の修行はできないし、師匠の魂は感じられません。その中だからこそ、スペシャルな匠が育つことがある。
「教わったことは忘れるけれど、盗んだものは忘れない」というのはまさに至言で、その通りだと実感しました。調理師だけじゃなくて、人間は誰でも本気にならないと見えるものも見えないし、自分の中に残らないものです。
可能性は無限大だ!
森:今の若者というより我々の世代もそうですが、3Kと言われる「危険・きつい・汚い」仕事をとにかく避ける方向にあります。ただ、それを忘れてはいけないし、その仕事の中にこそ尊いものがあるんじゃないかと思っています。とはいえ、あえて自ら厳しい道を選んできた上神田さんでも、その辛い世界の中で、やめようと思ったりスランプに陥ったりしたこともあるのではないでしょうか?
上神田:師匠の指示でいろいろな店で働きましたが、師匠の名を汚さないように、誰よりも早く行って一番一生懸命働かなきゃと思っていました。だから「さすが、会長が可愛がっているだけあって 本当にいい人が来てくれた」と仲居さんやオーナーが褒めてくれて。
でも評価は高くても、心の中には「何で俺は皆よりこんなに働かなきゃいけないんだよ」という醜い心があって、自己嫌悪に陥っていました。誰も知らないところに行ってもう1回やり直したいと思うくらいのスランプでした。
森:調理師学校を卒業する時は「過去3,000人の卒業生の中で、ナンバー1」と言われた優秀で努力家の上神田さんが、そんなふうに思っていたとは、意外です。そのスランプからどうやって抜け出したのか、ぜひ教えて下さい。
上神田:「志遂げずば2度とこの地を踏まず」くらいの覚悟で上京したのに、たった6年でこんなスランプに陥るとは自分で情けなかったですね。
それで、すがるような気持ちで古本屋に行って、真っ赤な表紙の目立つ本を手に取ってみたんです。「君は人より給料が1万円低いからとか、人より背が5センチ低いからとか、恵まれていないところを数えていないか」と書いてあって、「その通りだな」と思ったわけです。続けて「では、君に問うぞ。目が悪い人から“生まれて1度も物を見たことがないから目を売ってくれ”と言われたら、いくらで売るか」と書いてありました。
でも、たとえ何億円積まれても、売れないですよね。さらに続けて「親を通じて天から授かった君の体は金の延べ棒で、可能性は無限じゃないか。なぜそんなに小さい自分を見つめているんだ」と書かれてありました。その内容は、その時の私にぴったりの、最高の処方箋でした。
森:すごく強烈な文章ですね。では、それがきっかけでスランプを脱することができたんですね。それからは、生き方や仕事に対する姿勢も変わりましたか。
上神田:そうですね。それからはいじめにあったりひどい境遇に陥ったりしても、常に「打つ手は無限なんだ」と思えたし、「どうしたら前に行けるか」を常に考えられるようになりました。
田舎から上京したときはとりあえず食い扶持なんとかしようと思い、手に職を付けたい一心で師匠に弟子入りして技を盗もうと努力していましたが、自分自身の中で本当にスイッチが入ったのはその本に出会った時ですね。物事は必ず表裏一体です。修行の経験を振り返ると、すごくきついところがあるということは、すごい宝物もそこにあるのだと確信できます。
森:普通の調理師さんが見られないものを見て、得られないものを得て、身につけていらしたわけですね。では、調理学校校長という新たなステージで、その「宝物」をどう生かしているのか、次の回で詳しく教えてください。