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弘兼 憲史●ひろかね けんし
社会派漫画家。
1947年山口県生まれ。1970年早稲田大学卒業後、松下電器産業に入社。1973年に退職したのち、1974年漫画家デビュー。代表作『島耕作』シリーズ(マンガ誌『モーニング』)は課長からスタートし、現在は会長編を連載中。2007年には紫緩褒章を受章。また、文化放送の『ドコモ団塊倶楽部』、ニッポン放送の『黄昏のオヤジ』ではパーソナリティを務めるなど、多方面で活躍している。
interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。
大人のマンガ文化とともに、成長してきた『島耕作』
森:はじめは課長だった島耕作が先日会長に就任し、連載も30周年を迎えられましたね。このマンガが30年もの間、多くの人たちから選ばれ続けている理由は何なのでしょう?
弘兼:ひとつは、青年コミックというジャンルの誕生、成長と、『島耕作』がうまくリンクしたことです。
昔はマンガといえば子どもが読むものでしたが、私たちが社会人になる頃ビッグコミックなどが出てきて、そのまま団塊の世代の読者が大人のマンガ文化を引っ張ってきました。そうした方々と青年コミックと一緒に『島耕作』は成長してきた感じですね。
それまでは『釣りバカ日誌』のようなコミカルなサラリーマンマンガはありましたが、リアルなサラリーマンものというのは『島耕作』がはじめてだったと思います。このマンガはいわゆるエンターテイメント100%ではなく、情報50%、エンターテイメント50%というスタンスで描いているんです。
森:他の作品と違って、主人公の島耕作が年をとり、マンガの時間と実社会の時間がほぼ同時に進行していますよね。
弘兼:そうなんです。僕の中学時代の同級生に東京海上日動の会長になった隅さんがいて、だいたい彼の出世のスピードにあわせて島耕作も出世しているんです。そうしたリアルな世界を、リアルな情報を盛り込んで描けたところが、支持された理由かなと思いますね。
サラリーマン時代の人脈から最前線の情報を得る
森:リアルな情報はどこから得ているのでしょう?
弘兼:僕は大学卒業後に松下電器産業、現在のパナソニックでサラリーマンを経験しました。
たった3年でしたが、そこでいろいろな人脈ができましたね。たとえば前の会長の大坪さんは僕よりひとつ後輩、そんな時代になり、今でもたくさんの知り合いがいます。
連絡を入れて頼めば、海外の工場の視察や要人へのインタビューなどもすべてセッティングしてもらえました。本来なら現地のメーカーを探して一から交渉しなければならず、ややこしいこともたくさんあって、取材はままならなかったでしょう。この人脈がなかったら、これほど豊富な情報を盛り込むことはできなかったでしょうね。
森:島耕作は課長から会長まであらゆる役職を経験してきましたね。特に思い入れのある時代などはありますか?
弘兼:いちばん描いていておもしろかったのは課長時代ですね。
現場の指揮官なので活躍の舞台がつくりやすいし、上司と部下にはさまれる中間管理職の悩みもある。
これが取締役以上になると、リアルに描こうとすれば会議の場面が大半になってしまうので、思い悩んだ末に海外に赴任させました。海外が舞台ならそこは現場ですから、課長時代のような活躍をさせられるんです。
しかし、いちばんたいへんなのは今ですね。会長になると社業30%、経団連や経済同友会など経済界での活動が70%という感じになりますが、そのまま描くと毎日会議と会食ばかりになってしまいます(笑)。
実は先日経団連に取材を申し込んだら断られまして、「それなら、すべてリアルでなくてもいいだろう。だって断られてしまったし!」と考え、今は男の嫉妬が渦巻く経済界の世界を少しおもしろおかしく描いてみようと思っています。
もちろん、経済界でも島耕作は、これからの日本のために大いに活躍しますよ。