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川野 泰周●かわの たいしゅう
1980年横浜生まれ。2004年慶応義塾大学医学部医学科卒業後、精神科医として診療に従事。2011年より大本山建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行、2014年末より横浜にある臨済宗建長寺派林香寺住職となる。現在は寺務の傍ら横浜市内にあるクリニックをはじめ複数のクリニックで、うつ病、神経症、PTSD、睡眠障害などに対し、薬物療法や従来のカウンセリングだけでなく、禅やマインドフルネスの実践を含む心理療法を積極的に取り入れた診療を行っている。またビジネスパーソン、学校教員、子育て世代の主婦など、様々な人々を対象に講演・講義も行う。著書に『あるあるで学ぶ余裕がないときの心の整え方』(インプレス、2016年)がある。
interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。
感覚を研ぎ澄ませることで、周りが見えるようになってくる
森:マインドフルネスを続けるとストレスが減ったり人間関係もよくなるなど、プラスの効果がたくさんあって、生きやすくなることが分かりました。著書では仕事のストレスをなくす方法が書かれていましたが、「マインドフルネスを続けていると部下の本質が見抜けるようになる」というくだりも興味深かったです。
川野:呼吸に気を付けたり瞑想をしていると、人の本質が見抜ける…と話すと、「呼吸と観察眼は何の関係もないのでは?」と、不思議そうな顔をされる方が多いです(笑)。
マインドフルネスで人の考えを見抜くような技術が磨かれるということではなく、トレーニングを重ねることで自然と本質が見えてくるという意味なんですけれど。
森:「こうすれば部下の気持ちが分かる」といったノウハウではないのですね。では、これまでに教えていただいた「呼吸瞑想」「歩く瞑想」などを続けるだけで、そのような境地に達することができるのでしょうか?
川野:たとえば呼吸瞑想を続けていくと、自分の呼吸の有り様がどんどん見えてきて、いろいろな気づきがあるんです。呼吸の長さが1回ずつ違っていたり、吸う息と吐く息の間にちょっとしたタイムラグがあったり。
「いつもよりエアコンの音が気になるぞ」といった具合に聴覚が鋭敏になったと感じることもあります。これは「アウェアネス」と呼ばれる心の機能が向上したことで生じる現象で、気づきの能力が高まる体験をするんです。
森:なるほど。集中力が高まって感覚が研ぎ澄まされるイメージですね。
川野:そうなると、部下のちょっとした表情の変化を見逃さずに済むようになるんです。例えば「こういう業務に取り組んでいる時は余裕がなさそうな顔をしているけど、こういう指示を出した時はちょっと嬉しそうな顔をするぞ」といった具合です。
森:自分の業務に集中していながら、周りの状況や部下の様子にも目配りできるということですね。
川野:でも、マインドフルネスはそこで終わりではないんですよ。
さらにもう一歩踏み込むと、気づいたことを受け止める「アクセプタンス」ができるようになります。許容範囲が非常に広くなる、つまり心が広くなるということです。神経が繊細になって気づいているけれど、責めたり咎めたりしないで、いい形で活かしていけるようになります。
わざわざ部下の評価や適性を考える時間をとらなくても部下の様子が分かるようになり、「彼にはこれをやらせてあげよう」といった適切な指示ができるようになります。
森:実際に修行をしている中で、そんなふうに「自分自身が変わってきたな」という手応えを実感できるものでしょうか?
川野:臨済宗の托鉢の修行はグループで歩いて民家を訪ねて回るのですが、最初は言われるままに動くので精いっぱいですが、3年、4年と修行を積むと周りの状況を瞬時に判断し、部下に指示を出せるようになります。また、私が週2日は精神科医として外来診療にあたっていて実感したことがあります。
昔は診療後はぐったり疲れていましたが、呼吸瞑想などで気持ちを切り替えるようになってから、あまり疲れを感じなくなったんですね。お寺の仕事で気持ちが浄化されるのもプラスの効果があると思います。お経を読む時は声に集中し、写経をする時は文字に集中すると心が清められます。
朝、凛とした空気の中で庭を箒で掃いて落ち葉が少しずつ取り除かれてきれいになっていくのも気持ちよくて、ありがたい環境に身を置いていると実感します。
森:よく分かります。「掃除しろ」と言われてイヤイヤやるのと、「葉っぱが1枚ずつなくなってって気持ちがいい」と心をこめて掃除するのでは全然違いますね。
川野:マインドフルネスは、そういう気持ちを感じるためのとっかかりになります。「1つの行為に集中すると心が整ってクリエイティビティもあがるし、慈悲の気持ちも涵養(かんよう)される」と知れば、会社でトイレ掃除を任せられても「これはマインドフルネスのトレーニングをしているんだ!」と思える。
働いていると瞑想の時間は取れないけど、「トイレ掃除を命じられたことで瞑想する時間を与えられた」と思えば前向きに捉えられますよね。今は企業から依頼を受けて、そうした話をしに行く機会も多いんです。
森:ストレスチェックテストが導入されて、会社として社員の精神的な健康にどうアプローチするかは課題の1つです。今日のような話は社員にもぜひ聞かせたいですね。
自分のことを大切だと思えることが幸福の根底にある
森:ところで川野さんは医学部に進学されていますが、今は僧侶と医師の両方をこなしていますね。人間にとっての幸せとは何か、医学部を目指した頃と今とで考え方は変わりましたか?
川野:若い頃からお金とか地位にはあまり興味がありませんでしたが、「夢が叶ったり自己実現が果たせれば幸せだ」と考えていました。でも、今は少し違います。目標を達成してしまうと燃え尽きてしまうことってありますよね。経営者として成功して何十億もの稼ぎを得ているのに鬱になってしまった人もいます。
目的を定めると、たどり着けないと苦しいし、たどり着いたら生きる目的を失って虚しくなるのだとしたら、目的に目を向けること自体が苦しみの根源ではないかと思うようになりました。
森:だから、マインドフルネスで「今、目の前のことに集中するほうが幸せ度が上がる」という考え方に行き着いたわけですね。
川野:今を精一杯楽しむという視点のほかに、「人のためになっている」「世の中のためになっている」という利他行ができるかどうかも大事だと思います。そして心から利他行をするためには、自分に対しての慈悲、すなわち「自慈心」を持つことが一番大事だと言われています。
自分を大切にして自分の存在を認めてあげられる人は、心から豊かな気持ちで人に対して施しができる。一方、自己否定とか無力感を抱いている人は利他行をしているように見えても、実は自己満足したいだけだから見返りがないと続けられない。だから、人間にとっての幸せは利他行だけれど、突き詰めると自分のことを大切だと思えることが幸福の根底にあると考えています。
森:私も聞いたことがあります。自分が奇跡的に生を受けていて、存在するだけで世界にとって大切なものなのだと理解しない限り、他人も同じように理解してあげることはできませんね。自慈心を育むにはどうしたらいいのでしょうか。
川野:マインドフルネスでは価値判断をしないのが原則で、自分のダメなところも無理矢理変えようとせず、まずはそのまま受け入れます。ただ怠慢な生活を続けていればいいということではありません。
今を一生懸命生きる、それが最も大切です。「2度とない人生だから、今日1日を笑顔で生きよう」と考えてください。自分をまるごと受け入れて一生懸命生きていれば、自ずと自分を好きになることができ、自分を慈しむ心が育まれると思います。
森:では最後に、これからどんな活動や生き方をしたいか、心に決めていることがあればお聞かせください。
川野:身近な人を幸せにしてあげたいという気持ちが人を介して少しずつ波及していけば世界に広がると思っているんです。
純粋な気持ちで人に何かを差し出して、その気持ちが人から人へ伝播していけばいいな、と。ですからこのお寺でマインドフルネスや禅のワークショップ、坐禅会などを開いて、子どもからお年寄りまでいろいろな世代にマインドフルネスを教えたりしています。
私はもともと産業医として悩み苦しむビジネスパーソンをたくさん見てきました。ですから日本人の心に寄り添うマインドフルネスの普及活動を通して、ビジネスパーソンを始めすべての人に気づきや生き方のヒントが広がればいいなと思います。そして、それがひいては平和につながっていくようにと願っています。