guest
白石 康次郎●しらいし こうじろう
高校時代に単独世界一周ヨットレースで優勝した故・多田雄幸氏に弟子入りし、レースをサポートしながら修行を積む。1994年に26歳でヨットによる単独無寄港無補給世界一周の史上最年少記録(当時)を樹立。2006年、念願の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」クラスⅠに日本人として初めて出場し、2位という快挙を成し遂げる。2008年、フランスの双胴船「ギターナ13」号にクルーとして乗船し、サンフランシスコ〜横浜間の世界最速横断記録を更新した。2016年11月には最も過酷な単独世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローヴ」にアジア人として初出場を果たすもマストトラブルによりリタイア。次回2020年大会で初完走を目指している。子供達と海や森で自然を学習する体験プログラム「リビエラ海洋塾」を開催するなど幅広く活動している。
▼白石康次郎氏の公式ホームページはこちら▼
http://www.kojiro.jp
interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。
決断はいつも自分でしてきた
森:海洋冒険家というのは初めて見る肩書きです。なぜ、この海洋冒険家を目指そうと思ったのでしょう?
白石:実は海洋冒険家なんて職業はないんです(笑)。僕の仕事をどう表現しようか考えたとき、「海洋冒険家」が1番近いのではないかということでこういう肩書を作りました。
でも、元々こういう職業を目指していたわけではありません。子どもの頃に世界一周をしたいとは思ったけれど、ヨットで海を渡りたいということではなく、好奇心から普通の世界一周に憧れていたのです。
でも、水産高校で船乗りの教育を受けていたとき、多田雄幸さんが第1回の世界一周ヨットレースで優勝したというニュースが飛び込んできて、「どうせやるならヨットの方がカッコいいな」と。
森:ヨットというとお金持ちの趣味を連想しますし、石原裕次郎さんや加山雄三さんの明るくてかっこいいイメージです。
白石:確かにお金持ちの趣味だと思われがちですが、多田さんはタクシー運転手でした。それなのに、自分で作ったヨットで優勝しちゃったんです。
まさに我々庶民の希望の星ですよね。僕の家も特別お金持ちではなかったから、周りにヨットに乗っている人なんて誰もいない。でも、タクシー運転手が自作ヨットでレースに優勝できるなら、僕にもできるかもしれない! と思いました。
それで、当時住んでいた鎌倉から電車で東京駅まで行き、電話ボックスの電話帳で調べて多田さんの家に電話しました。それで弟子入りしたのがヨット人生の始まりです。
森:もともと好奇心旺盛なのでしょうが、思い立ったらすぐ行動に移すという行動力は家庭環境で育まれたのでしょうか。ご家族の反対はありませんでしたか?
白石:昔はインターネットもなくて、簡単に調べることはできません。ですから、まず経験者に会って話を聞くこと、そして直接ヨットを見たり乗ったりして知識と経験を増やして…というやり方しか思いつきませんでした。
僕が小1のときに母が亡くなったので、僕は明治生まれの祖母と昭和1桁生まれの父に育てられました。厳しい戦前教育を受けたわけですが、父も祖母も僕たち3兄弟がやることに1度も反対したことがありません。その代わり、賛成もないですよ。唯一言われたのは「お前が決めなさい」でした。ですから今まで全部、自分で決めて進んでくることができました。
キーになる人物の見極めやアプローチも大事
森:それにしても高校生でいきなり弟子入りとは、その発想に驚きます。それで、すぐに弟子にしてもらえたんですか?
白石:師匠は変わった人で、僕が訪ねて行って弟子にしてほしいとお願いしたら、「そんなに言うなら、今度ヨット乗りに来なさい」と言ってくれて。船を停泊させている静岡県の清水に行ったら、すぐに乗せてくれました。それからずっとお世話になったのですが、師匠は本当にすごい人なんです。
海が荒れた日に師匠と東京から清水に行ったとき、向かい風が吹いている中、僕が舵をとっていました。実は僕、船酔いがひどくて、ヨットに向いていないんじゃないかと思うほど(笑)。そのときも本当に苦しくて、「もうダメだ、師匠に替わってもらおう」と思って、這いつくばってハッチを開けたんですよ。
そしたら、師匠は何をやっていたと思いますか? 「康ちゃん、何?」って振り向いた師匠の手に麺棒があって…。なんと、荒れた海を航海しながら、餃子の皮を一生懸命のばしていたんですよ。「なんで今、餃子の皮?」「冷凍じゃダメなの?」と、めまいがしました(笑)。あの姿を見た瞬間に、「参りました。あなたには到底かないません」って思い知らされましたね。
森:確かに「師匠」と呼ぶにふさわしい方ですね(笑)。そんな師匠から、どんなことを学びましたか?
白石:師弟関係のいいところは一子相伝で、僕1人がずっとそばで見て技や知識を学べるところです。例えば師匠がスポンサーや役所の人と交渉するとき、僕もカバン持ちでついていって、後ろでずっと見ていました。師匠のやりとりを間近で見ることができて、すごく勉強になりましたね。
師匠のキャラクターはとびぬけていて、作家の沢木耕太郎さんは師匠のことを「海の寅さん」と表現をしたほど。師匠と話すと誰でもたちまちファンになっちゃうわけです。
ヨットレースに出場するために必要な資金の寄付もすぐに集まって驚きましたよ。
森:それはすごい!コミュニケーション術のほかにも、ヨットの技術はもちろん、精神面などでも学ぶことは多かったでしょうね。
白石:もともと僕の性格はエンジニアで理詰めで考えたり物事を進めるタイプです。だから師匠に出合ったときは衝撃だったんですよ。だって、ゴミの山から自分でヨットを作っちゃうんですから。薪ストーブをヨットに持ち込んで、いきなり大切なヨットの天井に穴を開けて煙突を出してストーブをつけたこともありました。エンジニアの常識を覆すことがたくさんあって、大いに勉強になりました。
ビジネスでも、今までと同じことをやっても成功しないでしょう? 「こうすれば成功する、儲かる」というビジネス理論とは違う世界ってありますよね。そこの部分をうちの師匠に教わった。僕はその高校では理詰めの部分、基礎の勉強をしたから、師匠の持っている感覚的な部分を学ぶことでバランスがとれたと思います。
森:師匠につきながら実地経験を積んで、さまざまなことを吸収して…。26歳のときに世界一周をしていますが、そこまでは順風満帆だったのでしょうか。
白石:師匠が60歳でヨットレースを引退したら、僕に船を貸してくれることになっていました。
ところが僕が24歳のとき、師匠がオーストラリアで自殺してしまったんです。それで、僕1人でオーストラリアから日本まで師匠の船を持ってきて、その船をもう1度作り直してレースに出ることにしました。自分でスポンサーを集めようとしたけど結局1社も集まらなくて。
でも、それでもやりました。自分で船を作って、2回失敗して、ようやく3回目で最初の世界一周に成功したんです。
森:師匠を失い、スポンサーも集まらず、自費で船を作って失敗して、それでも気持ちは折れずにやり遂げられた。何が白石さんの心の支えになったんですか?
白石:心は折れましたね。でも、やっぱり好きだったんです。理屈や理由ではなく、とにかく好きだった。お金儲けが目的なら、儲からなければやめるでしょう。でも、僕は誰にも頼まれていなくて、ただ好きでやっているんですね。
周りの条件に左右されることなく、自分の気持ち1つでいつでもやめられるし、いつまででも続けられる。それだけの大失敗を2回やって信用を失ったにも関わらず、世界一周したいという気持ちは消えなかったですね。だから続けられたし、やり遂げることができたんだと思います。