あるものを大事に使う豊かな暮らし 大里総合管理代表取締役社長 野老真理子氏に訊く【後編】

guest
野老 真理子●ところ まりこ
1959年東京都生まれ。1985年淑徳大学社会福祉学部卒業後、母が1975年に創立した不動産販売・管理・仲介、土地管理などを行う大里綜合管理(千葉・大網白里)に入社。94年より現職。2007年よりNPO大里学童KBAスクール代表。08年千葉県男女共同参画推進事業所表彰(奨励賞)。10年「子どもと家族を応援する日本」内閣府特命担当大臣(少子化対策)表彰、地域づくり総務大臣表彰(個人表彰)。厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員も歴任。

 

interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。

あるものを活かしてつなげるビジネスの形

森:地域活動を通して横のつながりを築くことが社員教育や販売促進にもつながるという前回の話は印象的でした。
それに、御社の学童保育で一緒に過ごした子がいずれ社員になってくれるケースもあるということで、一石二鳥どころではない効果に驚きました。

野老:私が大事にしてきたことは、「活かす」「つなぐ」ということです。

例えば私はピアノを上手に弾くことはできないけれど、上手に弾ける人のことを素直にすごいと思えるし、喜んであげられる。
ピアノが弾ける人とピアノを聴きたい人、伴奏してほしい人をつなげるような生き方をしたいな、と思っています。

だから採用にしても「いい人材を採ろう」という発想はなくて、来てくれた人と仲良くしながら、できることをやってもらおうという考えです。「仕事とはこういうものだ」と思っている限り、仕事以外のものは排除しますよね。

でも、排除した中に大切なものがたくさんあって、排除してまでやる仕事って何だろう、と思ってしまう。大事なものを排除せずにできる仕事ってないのかな、と考えてたどり着いたのが仕事と生活の垣根のない今の形ですね。たくさんお金を稼ぐよりは、あるものを大事に使う。ビジネスの世界では通用しないかもしれませんが、私はその姿勢を大事にしたいと思っています。

森:お金を稼ぐことに終始するより、そのほうが豊かな生き方ができますね。ただ、それは単に稼ぐことより大変かもしれませんが…。

野老:おかしいなと思ったことは、今自分たちが関わらない限り誰も良くすることはしないと思うんです。

たとえば私が講演で「昔は川がきれいでしたか?」と聞くと皆さん「きれいだった、川で遊べました」と答える。「今はどうですか?」と聞くと「汚いし危ないから遊べない」と言うんです。それで「誰が川をそんな状態にしたのですか?」と聞くと、みんな答えに詰まります。「これから誰がきれいにするんですか?」と聞いたときも返事が返ってこない。

でも、うちの社員達にそう聞いたら「俺たちが何もしなかったからこんなに汚れたんだ」「俺たちがこれからきれいにしていきます」と言うと思います。私も同じで、「私が気付かなかったからこんなに汚れてしまって申し訳ない。だからこれから、やれることをやって、きれいにしていこう」と思います。

みんなが幸せになれる地域づくりを

森:先ほど聴かせていただいた合唱もそうですが、御社は天国のような世界をここに作ろうとされていると感じました。ここに集まる人たちは、自然と本心に目覚めて自分ができることをやろう、と思えるようになるのかもしれませんね。

野老:そうなんです! 天国を作ろうと思ってやってきたわけではないけれど、結果としてここは地上の天国かもしれない、と感じています(笑)。

天国と地獄はどちらも大きな箸を持っているけれど、その使い方に違いがある。地獄では長い箸を使って自分の口に食べ物を運ぼうとするから喧嘩になって争いが起きてしまう。でも、天国はお互いに相手の口に入れてあげるからスムーズに食べられて、「ありがとう」「美味しかったね」と言い合える。それだけの違いですよね。

そう考えると、確かにこの会場は「私の場所よ」「なぜあなたが使っているの?」ではなくて「どうぞ使って」「使っていいの? ありがとう」「私はこれができるわ」と言って、朗読や琴やコンサートをみんながやってくれるから、お互いに感謝し合えるし笑顔にあふれています。それがまた次へとつながっていく……これって素敵なことだと思いませんか?

昔は「企業は儲かっているんだから企業がお金を出して当たり前」「無料で当然でしょ」という空気もあったでしょう。でも、ここではお金がかかるイベントに参加するとしたら、みんな一生懸命そのお金を捻出して来てくれる。

お金を払わないとこの会は成り立たないと思うと、みんな年金を大事に使いながら、ちゃんとお金を払ってここに来てくれて本当にありがたいと思います。

森:学童保育も運営されて子どもや若者と触れ合う機会も多いでしょうが、今の若者や教育について感じていることはありますか?

野老:携帯を見ている子が多いとは思うけれど、巡り合った子は皆いい子だから、特に「イマドキの子は」という感覚はないですね。ただ、自分が教育に携わるなら、こう教えたいということはあります。母国語以外に喋れる言語を1つ以上持ってほしいし、体を鍛えるスポーツか何かを1つやってほしい。それに歌や楽器など人を喜ばせる音楽ができるようになってほしい。
そして、日本の伝統文化を1つは身に着けてほしい。基礎学力は身についているわけだからそれをベースに、さまざまな素養を身に着けていけばきっと大人になったとき役立つと思います。

学校現場だとがんじがらめでできないこともあるでしょうが、ここで40〜50人の子どもを預かる学童保育を20年やって、用務員のおばちゃん兼校長のポジションで言いたいこと、やりたいことを伝えているつもりです。

幸せって何か? と考えると、「居場所」と「出番」があることだと思うんです。居場所や出番がないという人がいたら、コミュニケーションの中で自分との関わり、社会との関わりの中で「できることをやる」という出番を作っていく。
そうして、私に関わる人がみんな幸せになってくれたらいいなと思っています。それが地域社会の活性化にもつながっていってくれるとうれしいですね。