guest
上神田 梅雄●かみかんだ うめお
新宿調理師専門学校校長。1953年岩手県で10人兄弟の7番目に生まれる。高校卒業後、製綿業・雑穀業を経て1973年に上京し、新宿調理師専門学校・夜間部に入学。卒業後は故・西宮利晃氏に弟子入りし、12年間・11店補で修業を積む。1987年、銀座「会席料理・阿伽免(おかめ)」を皮切りに、その後24年間は5企業で総料理長を務める。2011年より現職。著書に『調理師という人生を目指す君に』がある。
interviewer
森 啓一●もり けいいち
株式会社フォーカスシステムズ 代表取締役社長。
監査法人、税理士事務所を経て、1998年にフォーカスシステムズに入社。常務取締役管理本部長兼経営企画室長を務め、11年より現職。
素直で謙虚な気持ちで働けば必ず育ててくれる
森:前回は修行時代のご苦労やスランプを乗り越えた貴重な体験をお聞きしました。今回は、現在の料理学校校長としての仕事や、学校に対する思いについて教えてください。そもそも、料理人だった先生が校長に就任したのはどうしてですか?
上神田:卒業後も母校には、折々に卒業生としてよく顔を出していました。
そして私が生涯の師と慕い、16年間師事した“西宮利晃”先生が逝去された時に、師匠の後任として日本料理の外来講師として学校に関わるようになりました。
さらにその12年後には、学校の評議員としても関わるようになり、卒業後ずっと母校と離れたことが無いというのが私の認識です。従って校長として招聘の話をいただいたときには、「教職員の先頭に立って、改革の為に誰よりも汗をかこう」と覚悟を決めて、お引き受けいたしました。周りの学校関係者には「果たして大丈夫かい…」と、卒業生・調理師校長の誕生を不安視する雰囲気がありましたよ。
森:少子化で生徒が減っているから、生徒の獲得など学校経営もなかなか大変ですよね。
上神田:当然、同業他校より少しでも魅力的な学校創りを、必死に模索し始めました。最も最優先課題だったのは教職員、特に永年勤続の幹部教員の意識改革です。教育事業とはいえビジネスです、並行して生徒募集の広報活動も大幅な見直しを図って行きました。そんな中、入学志望者が毎年1クラスずつ増えて行って、3年間で生徒総数が4割近くも増えました。
森:それだけ増えると、生徒の質もいろいろでしょう。私の会社でも、新入社員を見ていると昔より精神的に幼くなっていると感じますが、料理の世界ではいかがですか?
上神田:私も全く同じような感想を着任当初持ちました。親御さんには失礼かもしれませんが、身体の大きさに対して、心が幼く弱いと感じます。でも、とても優しくて素直なところがあると感じる場面もよくあります。
『元気な返事』『明るい挨拶』『使う前よりきれいにしてから返す後片づけ』。この、基本の躾のことをしつこく、しつこく言い続けています。社会に送り出すにあたっては、「この3つは、決してゆるがせにしない」と教職員にも強く伝えています。
森:当たり前のことのようですが、現代では家庭でそんな当たり前のしつけができていない子も多いから、それを教えるのは大変ですね。
上神田:私の亡き母と父は、いわゆる学歴は有りません。小学校しか出ていなかったですが、人が社会で生きて行く為に必要な道徳的なこと、「他人に会ったら、挨拶する」「何かしてもらったら御礼をいう」「困っている人がいたら手をさしのべる」「弱い者いじめはしない」などは、全て両親が教え躾てくれました。
また貧しかったですから、母親は私達子供が、お店なんかで万引きしやしないかと、大変心配だったようです。「ダメだぞ盗みは、他人の眼はごまかせても、神様が見ているんだから…」とよく言っていました。
森:昔は子どものしつけがなっていないと「親の顔が見たいね」と言われましたが、今はそんなことも言われませんね。
上神田:「生徒達に対する評価は、すべて我々教職員の評価・通信簿だ」と言っています。生徒が人としてのマナーとモラルを逸脱した場合には、決して見ぬふりしない、見逃したりしない。屁理屈を並べる生徒に「ダメなものは ダメ」とはっきり教え導く。生徒は我々教職員の写し鏡のように感じます。
諦めずに働きかけることを続けていきたい
森:先生ご自身も、生徒と接するときにそれを実践することがありますか?
上神田:ある日学校の入り口で、朝掃除をしていた私は登校してきた生徒に「おはよう!」と声掛けしたのに、無視したように何も言わずに顎突き出して通り過ぎるじゃないですか……。
思わず腕掴んで「おいコラ、俺をどこの爺だと思っているんだ?」と聞いたら、「校長先生です…」と言うので、「コノヤロウ、校長って分っているのに、挨拶返さずにスル―したのか、喧嘩売ってんのか、買ってもいいぞコラ」と本気で怒鳴りました。教え導く仕事の教師は、親御さんから、授業料頂いてお預りしているのですから、大切で大事なことをしっかり気づかせてあげないでどうする、と思います。
森:ということは、先生の方から生徒に寄り添っていって、引き上げていかなければいけないということですね。
上神田:卒業生校長として着任して4年が過ぎ、いま現在5年目の中で思うに、実は生徒たちから、多くのこと教えられて来たように感じます。教えているつもりが、同じくらいたくさんのことを気づかせてもらっていると言った方がいいかもしれません。
“師生同学”“師生同汗”という訓えの通りだと実感しています。
森:苦労も多いと思いますが、得るものも多いわけですね。
教職員の意識改革という話がありましたが、ほかの先生方にもそういう動きは波及していますか?
上神田:“改革は一気呵成に…”と言いますが、私の場合は性急すぎて、古い教員たちには理解が追いついていかない事態にさせてしまいました。
恥ずかしながら、ついてくるどころか、私の改革推進を阻止反対するもの達に“校長解任論”を掲げられました。不徳のいたすところですが、解任クーデター劇を首謀した主任2名には辞めてもらいました。しかし、うれしかったのは若い職員のなかに、本当に素直に協力をしてくれた者がいたことで、ありがたいことでした。その若い職員の一生懸命な姿勢に、感じる生徒、気づく生徒たちがボチボチ出はじめ、その兆候がまるで化学反応が生じるようにジワジワと校内に広がっていってくれました。
例えば、挨拶が校舎内にこだまし始め、返事の声が元気になり、掃除が行き届くようになりました。被災地訪問活動、地域ボランティア活動、早朝街頭清掃活動などへの参加呼びかけに「誰かのお役に立ちたい」という生徒が年々増えています。
まず私が「母校のお役に立ちたい」と覚悟を決めたら、謙虚で優しい教職員が「認められたい」と頑張り、素直な生徒が「褒められたい」という空気感が漂いはじめ、学校が変わって来ました。
森:そうやって少しずついい方向に向かってきた学生さんの中で、スイッチの入る瞬間というのは分かるものですか?
あ、この子はスイッチが入ったな、と。
上神田:そうですね、分ります。毎日の朝掃除に「やらせてください」と言う生徒が現われ、エレベーターで居合わせたときに「先生どうぞ」と言える生徒が増えてきました。つまり自らが気付いたんですね。
森:調理師学校といはいえ、学校というより人として当たり前のことができる、きちんとした「人」を育てているわけですね。
今後の生徒や学校の成長が楽しみですね。
上神田:若者人口の減少、1970年には250万人と言われた成人者、35年後の2015年には120万人弱(*)、教育事業の業界でも生徒募集は避けられない課題です。
しかしながら、調理師業界の人財養成の為の、職業訓練校としては“社会的使命”はとても大切で、私なりに微力を尽くして社会に貢献して参りたいと、益々意を強くしています。
* 総務省 統計データ