先天性や病気によるものだけでなく、老化現象が原因の難聴も増えている今、注目されているのが聴こえを助けるスピーカータイプの補聴システム「comuoon(コミューン)」だ。従来の補聴器とは異なる「話し手が用意する」斬新な商品を世に送り出したのがユニバーサル・サウンドデザイン。代表を務めるのは建設業界からIT業界、レコード会社、そして現職という異例のキャリアをもつ中石真一路さんだ。「音のバリアフリーを目指す」という中石さんにcomuoonの仕組みや開発秘話について伺った。
耳につけない会話支援機器であるcomuoon(コミューン) を始め、聴こえを支援する機器やスピーカーなどを取り扱う。2012年4月に会社を設立し、2013年に実用化されたcomuoonは、教育や医療現場、自治体などに着実に広がっている。グッドデザイン2014 ベスト100、東京都ベンチャー技術大賞優秀賞、国際ユニヴァーサルデザイン協議会IAUDアウォード(医療福祉部門)2014など数多くの賞を獲得している。
話し手が会話支援機器を用意する「逆転の発想」
ユニバーサル・サウンドデザイン本社を訪ねると、さまざまな色や形のスピーカーが並んでいる。中でもひときわ目を引くのが、卵型の卓上型対話支援システム「comuoon(コミューン)」だ。comuoonは話し手がマイクを通して話し、聴こえやすい音をスピーカーで流す――つまり話し手が聴き手に歩み寄るという新しい発想の会話支援システムだ。
白くてコロンとした色と形には、スピーカーを連想させる部分はみじんもない。どこから音が出るのかと首をかしげていると…「こうして上下をひねって形を変えると、スピーカーになる仕組みです」と中石さんが種明かしをしてくれた。デザインといい、手品のように形を変える楽しさといい、従来の「補聴器」「スピーカー」という概念を覆すわくわく感に満ちた逸品だ。
comuoonは話し手の声を集音率の高いマイクで拾って、聴こえやすくなる構造のスピーカーを通し、聴き手に音を届ける仕組み。スピーカーにはノイズを乗せない技術を駆使したフルデジタルのアンプを組み込み、聴こえやすい声の帯域を強調する。「高音域が聴きづらい」、「人によって聴こえにくい音域が異なる」、「壁に反響すると聴き取りにくい」といった問題に取り組み、精度を上げて実用化にこぎつけた。
ろう学校など施設での導入も増えているが、聴こえの問題は病気だけでなく、歳を取ると多くの人が直面する老化現象にもある。高齢者の聴こえをサポートするために、病院の診察室や銀行、区役所の窓口などに設置する事例も増えているという。
導入した病院からは、喜びの声が届いている
機器発見の糸口は、大学教授の発したひと言
中石さんがcomuoonの開発を思いついたのは、レコード会社に勤めていた前職の時。社内の新規事業立ち上げプロジェクトでスピーカー開発の企画が通ったのがきっかけだ。「ライブなどで使えるように、省エネルギーで遠くに音を飛ばせるスピーカーの研究をしていた時、一緒に研究していた慶応義塾大学の武藤佳恭教授から“このスピーカーを使うと聞こえにくい人でも聴き取りやすいらしい”と教えてもらって。父と祖母が難聴だったこともあって興味を抱き、そこから聴こえやすい音の研究を始めました」。
最初から会話支援機器を作り会社を立ち上げようと思ったわけでもなく、社会的意義のある仕事を志していたわけでもない。仕事の途上で出合った小さな気づきを見逃さなかったことがcomuoon開発へと道をつけた。
社内の新規事業としてスタートした開発は、2011年3月、東日本大震災で中断を余儀なくされた。しかし、ボランティアで被災地を訪れた時、アーティストたちが「音楽は無力だと言われ続けている」「音楽なんか聴いている場合じゃない、と言われた」と話しているのを聴き、一念発起した。「音楽や、聴こえやすくなる技術を開発することで人を助けることができるはずだ。この研究はやめてはいけない」と。
そこで2011年6月に会社の了解を得て、仲間を募ってNPO法人として日本ユニバーサル・サウンドデザイン協会を立ち上げた。商売云々ではなく、聴こえやすい環境を作る活動としてスタートを切ったのだ。
開発初期のcomuoonは、現在のものとまったく違うデザイン
叩かれても、挑戦を諦めなかった
世の中にないものを生み出そうとする中で、不安はなかったのだろうか――。「できるという自信はないが、できるだろうという勘とチャレンジしてみようという思いに突き動かされました。相当叩かれたし、ハードルはかなりの数だったから、普通なら諦めるところです。でも、僕は諦めなかった」と中石さんは当時を振り返る。
難聴者の協力なしには開発が進まないが「怪しげなものを売りつけようとしている」と疑われたり、企業に支援をお願いすると「いいものだとは思うけど、商売的にどうなの? 金になるの?」と言われこともあった。
でも、世の中にはお金で測れないものがたくさんある。今変わらなければ10年後、20年後も難聴者を取り巻く状況は変わらない。どんなに叩かれようとも、これは絶対に世の中に必要なものだし、自分たちの手で未来を作っていきたいという気持ちは揺るがなかった。
「諦めずに続けていくうちに、10人のうち1人が味方についてくれるようになった。意義がある仕事だから、その1人を大事にしてきちんとやっていこうと思いました。難聴児のお母さん方と話して検証する中で、“大人が力を貸してくれることのありがたさを子どもたちは実感している”、“絶対あきらめないで続けてほしい”と言われて力を得ました」。
そうした力強い声に支えられ、中石さんは歩を止めることなく商品化に向けて邁進し続けた。
製品の価値を伝えることは難しいと語る中石さん
後編では、中石さんの転職にまつわる見事なまでの人心掌握術、盲点をついた売り込み方法や、comuoonのさらなる未来に向けた取り組みについて伺います。