2017年6月29日(木)、フォーカスシステムズを31年間もの間、守り・育ててきた畑山芳文(以下、相談役)が任期満了により役員を退任しました。
かつて相談役が代表を務めていた会社と当社が合併したのは1986年。それ以来ずっと、初代経営陣の一人として会社を発展させてきた、当社を語る上で欠かせない人物です。
初代経営陣が世代交代をした後にも、唯一役員として残るほど余人をもって代えがたい存在でした。
そんなフォーカスシステムズの柱石である相談役にインタビューをしてきましたので、是非ご覧ください。
- 31年間を振り返って、現在の心境をお聞かせ下さい。
「大変だったけど、おもしろかった」というのが率直な気持ちです。
- どのようなことが大変でしたか。
総務・経理・人事など間接部門の大半を担当していたので、やるべきことが沢山あって、とにかく忙しい日々でした。最初は知らない事ばかりで大変でしたが、とても勉強になったと思っています。
また、会社が若く小さかった頃は採用も厳しく「人がいない」「お金がない」という苦労もありました。
店頭公開前には、連名で保証人になって高額なお金を借りたこともあり、覚悟を決めてやり通すしかありませんでした。
- 相談役含め初代経営陣の苦労と覚悟の積み重ねがあって、今のフォーカスシステムズがあるのですね。では、そんな苦労もあった31年間、ずっと大事にしてきたことは何でしょうか。
「人を大事にする」ということです。
あらゆる場面でこのことを意識し、意思決定・行動をしてきました。
仕事上だけではなく、春は花見、夏は海、秋は旅行や運動会、冬はスキーと、会社行事を通して社員との関り合いも大事にしてきました。
昔は社員旅行でグアムに行ったりもしましたよ。会社の規模と比例して今はイベントの規模も大きくなり、アットホームな行事は減ってきましたが。
確かに苦労もありましたが、このような楽しい思い出も沢山あります。
-相談役は多くの社員にとってとても頼れる近い存在です。それも人を大事にしてきた結果なのだと思います。
では、多くの思い出の中で、心に残っているエビソードはなんですか。
「株式店頭公開(現在の東証JASDAQ市場上場)」です。
「認知された、社会的信頼を得たような喜び」がありましたし、店頭公開前は新卒採用に苦労していたので、その後の採用に対する期待も持ちました。実際に店頭公開した後は新卒の応募者が増えました。
- 一番思い出に残っているのが店頭公開ということは、相当苦労されたのでしょうね。
あの頃が一番しんどかった時期です。公開準備を始めたのは1980年代前半でした。店頭公開するための基準には、会社規模や財務状況、業績だけではなく社内組織体制の整備などがあるのですが、当時は規程などもあまり整備されていなかったので、ないものを新たに作ることが本当に大変でした。
その後、店頭公開したのは1996年。本当はもっと早く公開を果たしたかったのですが、バブル崩壊後の株価低迷で公開市場がストップするという外的な要因もあって、結局十数年かかりました。
- 今は一部上場企業にまで成長しましたが、ここに至るまでの当社の一番の転機は何だったのでしょうか。
1988年に官公庁の仕事を始めたことです。
当初は民間企業の短期間かつ景気に左右される案件が多かったので、官公庁案件をとるための営業を始めました。官公庁の仕事を始めてから、会社は一気に安定し始めましたし、官公庁事業は今現在も当社の柱の一つとして続いています。年金など社会に係るシステムは、「不景気だから来年度からは無し」ということはないですから。そのためバブル崩壊後に色々な企業が倒産していく中、当社は生き残ることが出来ました。
- バブル景気の間も堅実な経営で社業を推進されてきたのですね。
色々な荒波を越えながらも31年間当社と共にありましたが、相談役にとってフォーカスシステムズとは?
人生そのものです。
昔は土曜日も仕事をしていたし、子どもが小さい時は起きている時間に帰宅することはほとんどありませんでした。しかし、経営にはもちろん大きな責任が付いてきますが、裁量権があってやりたいことを実現出来るのでとてもやりがいはあります。ですから、31年間はとても充実していました。
- では、今後のフォーカスシステムズに期待することはなんでしょうか。
土台が出来たので、より一層社会に貢献してくれることです。
社員は今の状態に安住することなく、主体性を持って自分で考え、実現して行って欲しいと思います。
-相談役、31年間お疲れ様でした。これからも社員にとって頼りになる存在として、当社を見守り支えて欲しいと思います。そして私たち社員は、色々な荒波を乗り越えて築き上げられたこのフォーカスシステムズをより成長・発展させ、未来のより良い環境作りに貢献していきます。